1. はじめに:なぜ営業に行動経済学が効くのか

営業現場では、「どんなに良い商品を提案しても決まらない」「論理的に説明しても断られる」といった壁に直面することが少なくありません。これは、人間の意思決定が論理だけで成り立っていないことに起因します。
人は“合理的に見せかけた非合理”な判断をしている
行動経済学の研究によると、私たちの脳は常に2つのシステムで意思決定を行っています。
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システム1(直感的・感情的な判断)
速いが雑。自動的に働く。瞬間的な印象や感情に基づく判断。 -
システム2(論理的・熟考的な判断)
遅いが正確。集中しないと働かない。数値や根拠に基づく判断。
営業での意思決定は、実はこの「システム1」に大きく左右されます。つまり、ロジックではなく“気分”や“雰囲気”で断られていることが多いのです。
行動経済学は“その非合理のルール”を可視化する
行動経済学は、「人はなぜ、そういう行動をしてしまうのか?」を科学的に解明してきました。
- 選択肢が多すぎると選べなくなる(選択麻痺)
- 手に入りにくいものほど魅力的に見える(希少性バイアス)
- 最初に見た情報が基準になる(アンカリング効果)
こうした心理的傾向を理解し、それに沿った営業提案を行うことで、顧客の判断を自然に前向きに導くことができます。
「説得」ではなく「納得」をつくる技術
営業において重要なのは、無理に売り込むことではなく、「お客様自身が“これにしよう”と納得して選ぶ状態をつくること」です。
行動経済学を活用することで、
- 迷っていた顧客が一歩を踏み出す
- 比較検討していた顧客があなたの提案に自然と惹かれる
- 決断を後回しにしていた顧客がその場で決める
といった“納得感に導かれた行動”を引き出すことが可能になります。

2. デフォルト戦略:「おすすめはこれです」で迷いを断ち切る

人間は本来、意思決定にエネルギーを使いたくない生き物です。特に選択肢が複数ある場合、「どれが正解かわからない」「失敗したくない」という心理が働き、結果として“何も選ばない”という選択をしてしまうことがよくあります。
こうした状況を打破するのが、「デフォルト戦略(Default Effect)」です。
デフォルト戦略とは?
行動経済学における「デフォルト戦略」とは、あらかじめ推奨する選択肢を用意しておくことで、意思決定のハードルを下げる手法です。
これは、国や企業の政策でもよく使われています。
- 臓器提供の意思確認を「提供する」に初期設定しておくと、提供率が大幅に上がる
- メールマガジンの購読を「チェック済み」にしておくと、購読率が上がる
- 保険のプラン選択を「標準プラン」に初期設定しておくと、変更せずそのまま契約する人が増える
つまり、「最初から選ばれている状態」があると、人は安心感を覚え、そのまま受け入れる傾向が強くなるのです。
営業現場での実践方法
営業においてこの戦略を応用する場合、ポイントは“推奨パターンを明確に提示する”ことです。
1. 見積書での工夫
- 3つのプランを用意した場合、「中間グレード」に「おすすめ」と記載
- 合計金額の横に「この構成が一番人気です」と一言添える
2. 提案資料でのトーク展開
- 「多くのお客様がこちらを選んでいますので、まずはこちらでご提案いたします」
- 「まずはこのモデルが基本になります。ご希望に応じてカスタマイズ可能です」と、“入口”を絞って見せる
3. 営業トークに組み込む
- 「本日お持ちした内容はこちらですが、迷ったらこのプランが一番バランスがいいです」
- 「最初に選ぶなら、ほとんどのお客様がこちらです」
このように、あくまで「選択の自由」を残しつつも、“考えなくても安心して選べる選択肢”を用意することで、顧客の意思決定ストレスを軽減し、クロージングのスピードを上げることができます。
なぜ効果があるのか?心理的背景
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安心感の提供
提案者が「これがベストです」と提示することで、顧客は「迷わなくていい」「信頼していい」という感情を持ちます。 -
失敗への恐怖を和らげる
デフォルト提案は「多くの人が選んでいる=失敗しにくい選択」として安心材料になります。 -
選択コストの削減
複数の比較検討に疲れている顧客にとって、選ばれたプランをそのまま受け入れることは、エネルギーを節約する手段となります。
注意点と信頼を守る使い方
この戦略は強力ですが、「押しつけ」に見えると逆効果になるリスクもあります。
そのため、以下のような配慮が必要です。
- あくまで「提案」であり、「選択肢の一つ」として位置づける
- 顧客の目的や状況をヒアリングした上で、「だからこの提案が合っている」と理由を添える
- 他の選択肢を希望する場合には柔軟に応じる姿勢を示す
つまり、顧客に“選ばせる自由”を残したまま、“迷わない道筋”を用意することが成功のポイントとなります。
3. 希少性バイアス:「今月あと2件だけ」が行動を加速させる

営業現場でよく耳にする「今だけ」「限定」「先着順」といった言葉には、単なるセールスコピーを超えた強力な心理的メカニズムが働いています。それが「希少性バイアス(Scarcity Bias)」です。
希少性バイアスとは?
人は「貴重なもの」「手に入りにくいもの」に対して、自然と価値を感じる傾向があります。この心理は進化的な本能にも根ざしており、限られた資源や機会を逃さないようにすることで、生存や繁栄の確率を高めてきたという背景があります。
そのため、現代においても以下のような言葉には特別な“注意喚起”が働きます。
- 残り◯名限定
- ◯月末までの受付
- 今だけ特別価格
- 数量限定キャンペーン
これらは理屈ではなく、感情的な「焦り」や「行動の促進力」として機能するのです。
営業での活用法:顧客に“今決める理由”を与える
営業の現場では、「興味はあるが決断は先延ばしにしたい」という顧客にしばしば出会います。希少性バイアスを活用すれば、こうした“保留状態”の顧客に対して、行動を促す強力な一手になります。
活用トーク例:
- 「今月はあと2件だけ、優先対応が可能です」
- 「この金額での対応は、今回のキャンペーン期間内だけです」
- 「この商品は毎月入荷数が限られていて、次回は未定です」
- 「今回は特別に◯◯が無料でつきますが、これは先着順で締切ります」
重要なのは、これらの文言が“選ばないと損をする”という損失回避の心理を刺激する点です。人は得をするよりも、損を避けることに強く反応します(行動経済学でいう「プロスペクト理論」)。
効果的に使うための注意点
希少性バイアスは強力な武器ですが、使い方を誤ると逆効果になるリスクもあります。
注意点1:嘘・誇張は絶対NG
「いつでも2件だけと言っている」
「本当は限定じゃないのに限定と言っている」
このように見抜かれてしまうと、信用が一瞬で失われます。希少性の効果を継続して得るためにも、“事実に基づいた限定要素”を設けることが必須です。
注意点2:根拠と期限を明示する
「あと2件だけ」と言うなら、理由もセットにしましょう。
- 「社内リソース的に今月はあと2件まで」
- 「◯月◯日以降は価格改定が決定しています」
- 「このキャンペーンは●社様専用で今週末まで」
こうした根拠と期限を明示することで、「本当に希少なんだ」と納得してもらえるようになります。
希少性を「煽り」ではなく「安心感」に変える
希少性を誤って使うと、「急かされた」「押し売りされた」というネガティブな印象を与えかねません。しかし、誠実に使えば、「タイミングを逃さずに決断できたこと」に対して顧客は感謝するようになります。
営業の役割は、「今決めることが顧客にとってもメリットである」と伝え、背中をそっと押すことです。
今すぐ行動したくなる“状況”を設計する
希少性バイアスは、顧客に「検討はするけど、また今度」という選択肢を取らせないための有効な設計です。単なる「今だけです」ではなく、“なぜ今なのか”という納得の構造をつくることで、自然に次のアクションを引き出すことができます。
4. アンカリング効果:高額商品が“お得”に見せるトリック

営業において「価格の見せ方」は非常に重要な要素です。
同じ価格でも、“何と比較されたか”によって受け取られ方が大きく変わるためです。
このとき活用できる心理テクニックが「アンカリング効果(Anchoring Effect)」です。
人は最初に見た数字や情報を“基準(アンカー)”として、その後の判断に影響を受けるという傾向があります。
アンカリングの実例(営業トークでの典型パターン)
ケース1:高価格プランから提示して“お得感”を演出する
- プレミアムプラン:20万円
- スタンダードプラン:15万円
- ライトプラン:10万円
この順番で提示すると、スタンダードプランが「安く感じる」だけでなく、「コストパフォーマンスが高いように見える」効果が生まれます。
一方、10万円から順に出すと、15万円は“高く感じる”印象になってしまいます。
ケース2:最初に「基準価格」を伝えておく
-
「通常、このタイプの施工は25〜30万円が相場ですが、今回はご紹介特典で18万円でご案内できます」
→ 実際には18万円もそれなりの価格だが、30万円を最初に伝えることで“安く感じる”
このように「最初に何を提示するか」で、価格の印象はまるで変わってくるのです。
顧客は「絶対価格」よりも「相対価格」で判断している
営業ではよく「価格に納得してもらえない」という悩みがありますが、実際の問題は“価格の高さ”ではなく、“価格の位置づけ”にあることが多いのです。
アンカリング効果を用いれば、
- 「この金額は高い」と言われる前に、もっと高い金額を見せておく
- 顧客にとっての“比較対象”を意図的に操作する
- 提示した価格が“合理的に見える”ように導く
といった価格の印象操作=“価格演出”が可能になります。
実践アイデア:アンカリングを組み込む3つの工夫
1. 提案書・見積書に3段階のプランを用意する
- 高・中・低の3プラン構成
- 「中間プランに“おすすめ”ラベルをつける」と、選ばれる確率が飛躍的に上がる(これは“デフォルト戦略”とも組み合わせ可能)
2. 比較対象を先に提示してから自社提案を出す
- 「他社ではこのような構成で月額5万円かかるケースが多いですが、弊社の場合は3.8万円でご提供できます」
- 「同様のスペックで20万円以上する製品が主流ですが、こちらは15万円です」
比較対象を先に設定することで、自社提案の“割安感”を際立たせることができます。
3. あえて“高い選択肢”を用意しておく
- 実際にはあまり売れない前提でも、“高額プラン”があることで中間プランが選ばれやすくなります
- これは「おとり効果(Decoy Effect)」とも呼ばれ、選択肢設計における有効な戦術です
注意点:不自然なアンカーは逆効果になる
- あまりにも非現実的な高価格を提示すると「押し売り感」が出る
- 比較対象が実在しない場合、信頼を損なう
- 高額商品を“売る気がない”と顧客に悟られると逆に不信感につながる
重要なのは、あくまで「比較のための情報提供」という姿勢を保つことです。
価格は「順番」と「構成」で印象が変わる
アンカリング効果は、営業トークの中で価格をどう提示するか、どの順番で出すか、比較対象をどう見せるかといった“プレゼンテーションの設計”に大きな影響を与えます。
価格そのものを変えずに、顧客の感じ方を変える。
これは、営業における「価値の伝え方」の核心とも言えるテクニックです。
5. 応用編:3つのテクニックを効果的に組み合わせるには

行動経済学に基づく営業テクニック(デフォルト戦略・希少性バイアス・アンカリング効果)は、それぞれ単独でも十分な効果を発揮しますが、流れとして組み合わせることで、顧客の意思決定プロセスをスムーズかつ強力にサポートできるようになります。
営業活動は一つのストーリーです。単発のトークではなく、「自然な導線で顧客の納得と選択を導く構成」こそが、受注率を大きく左右します。
営業シナリオの流れ例(組み合わせ型)
ステップ1:アンカリング効果で「比較基準」を設定する
まず、最上位プランや高額な商品を最初に提示
例:「まずはこちらがフルプランで20万円になります」
→ これにより、顧客の中に「価格基準」が形成される
ステップ2:デフォルト戦略で「おすすめ」を明示する
続けて「標準プラン(15万円)」を“おすすめ”として提示
例:「多くのお客様はこちらのスタンダードプランを選ばれています」
→ 基準ができたことで、標準プランが“割安”かつ“安心”な選択肢に見える
→ 迷いを軽減し、選びやすい土台を作る
ステップ3:希少性バイアスで「今決める理由」を与える
最後に「今月受付はあと1件」「この価格は今週末まで」などの限定性を提示
例:「このプランで優先対応できるのは今月あと1件だけです」
→ 顧客が「迷っている間に失うかもしれない」と感じ、決断を早めやすくなる
この構成が効果的な理由
1. 脳の“省エネ”に寄り添っている
人は選択時にエネルギーを使うことを避けたがるため、比較→納得→行動までがひとつの流れで用意されていると安心して乗れる。
2. 「納得→決断」の心理ステップをスムーズに踏ませられる
- アンカリングで「高いのもあるが、これなら十分」と納得
- デフォルトで「みんな選んでいるなら安心」と背中を押され
- 希少性で「今しかないなら今決めよう」とタイミングが決まる
この一連の流れは、断りにくく、選びやすく、決断しやすい構造になっている。
組み合わせる際のコツと注意点
■ コツ
-
順番は必ず「アンカリング → デフォルト → 希少性」の順にすること
※順序が前後すると説得力や自然さが損なわれる - 事前に「価格に対する抵抗の強さ」や「比較検討段階」をヒアリングしておくと精度が上がる
- 話す情報量は徐々に絞る(最初にすべて説明しすぎると混乱する)
■ 注意点
- 「本当におすすめできるプラン」であることが前提
- 限定や値引きの根拠は明確にし、煽りすぎない
- アンカーが高すぎると信頼を損なうリスクがあるため、業界水準を考慮して設定
応用パターン:業種別に最適化する
-
住宅リフォーム営業:
高価格帯施工事例を冒頭に見せてから、標準仕様を提案し、キャンペーンでの値引き枠を提示 -
ITサービス営業:
プレミアム機能つきプラン(年契約)を最初に提示し、「一番選ばれているのはこのスタンダードです」と案内、今月だけ導入費無料とする -
保険・金融:
最高保障プランを先に提示し、標準プランの割安感を演出しつつ、契約月内特典で即決率を高める
流れを設計することで“受注率が変わる”
行動経済学のテクニックは、「何を言うか」ではなく「どう流れをつくるか」がカギです。
デフォルト、アンカー、希少性といった心理のスイッチを押す順番と組み立て方を設計できる人は、営業力の次元がひとつ上がります。
6. まとめ:テクニックは“顧客思考”の上に成り立つ

行動経済学を応用した営業テクニックは、一見すると「人をうまく動かすための心理操作」に見えるかもしれません。しかし、そうした表面的な理解でテクニックだけを使おうとすると、営業の本質を見失い、信頼を損ねる結果になりかねません。
顧客視点のないテクニックは「押し売り」になる
営業で最も重要なのは、「顧客に選ばれる理由をつくること」です。
顧客の状況や課題、価値観を無視したテクニックの適用は、
- 「売り込まれた」
- 「コントロールされた」
- 「自分の気持ちを汲んでもらえなかった」
という不信感につながります。結果として、短期的には契約が取れても、長期的な関係性や紹介は生まれません。
テクニックは「納得」を支援する道具
本来、行動経済学の知見は、人間が持つ判断のクセや弱さに寄り添い、“後悔のない選択”を導くためのサポートツールです。
営業においても、以下のような姿勢で使うことが理想です。
- 「お客様が迷わないように道筋をつくる」
- 「お客様が自信を持って決められるように支える」
- 「“納得して選んだ”と思ってもらえるように導く」
この視点を忘れずにテクニックを活用すれば、それは「顧客ファースト」の提案になり、結果として信頼も契約も得られます。
営業に求められる3つのバランス
営業で成果を出すためには、以下の3要素をバランスよく活かすことが求められます。
1. 顧客の立場で提案を組み立てる“思考力”
- 顧客の背景・業界・感情の流れまで理解する力
- 「この人は、なぜ今迷っているのか?」という問いを持てるかどうか
2. 行動経済学の知識を活かす“応用力”
- 知識として知っているだけではなく、営業フローに自然に組み込める柔軟さ
- 顧客との信頼関係を壊さない“説得ではなく納得”の使い方
3. 誠実さと信頼感を失わない“伝え方の技術”
- 焦らせる、煽るではなく、「なぜ今がチャンスなのか」を客観的に伝える力
- どのような話し方・トーン・表現をすれば“信頼されるか”を意識したプレゼン
営業は「選ばせる技術」であり、「選ばれる人格」
営業におけるテクニックとは、お客様の意思決定を手助けするための“設計力”です。
その設計が、顧客の立場に立ったものであればあるほど、
あなたの提案は“売り込み”ではなく“選ばれる提案”に変わります。
最後に大切なのは、テクニックに頼りすぎず、
- 顧客の課題を理解する姿勢
- 顧客の未来に責任を持とうとする誠実さ
- 一緒に考え、共に選ぶというスタンス
を大切にすることです。
あなたの営業提案に、もう一段階の説得力と信頼感を加えたいなら、
“顧客思考”を軸に、行動経済学のテクニックを活かすところから始めてみてください。
それは、売れる営業ではなく、「選ばれる営業」への第一歩になるはずです。

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